諸説ある「七夕伝説」
乃愛さんの語る織姫様と彦星様のエピソードが、恐らく一般的に知れ渡っている「七夕様の物語」であろうと思います。実はこれ以外にも7月7日にまつわる類似した逸話は多くありまして、例えば「彦星様が大蛇であり、織姫様の父親を脅して嫁として奪う」というものや、「織姫様が天界から降りてきて水浴びをしている際、ひとめぼれした彦星様が織姫様の天の羽衣を隠してしまい、天界に帰れなくなった織姫様を嫁として迎える」といったようなお話もあります。
いずれのエピソードも、「織姫様と彦星様が惹かれあう」「織姫様の父である天帝(もしくは彦星様の父である悪鬼)から出される無理難題を解決して認めさせる」「7月7日だけ会うことを許可される」という筋書きは同じです。つまりは「愛し合う男女が第三者により引き離されてしまい、年に一度だけ会えるという状況」を描いた物語と言えるでしょう。
往々にして、昔話や童話は何かしらの教訓が含まれていることが多く、七夕伝説であれば「どれほど愛し合っていようとも、それぞれの役割を果たさなければ愛し合うことができなくなる」→「その為、恋にかまけてないでしっかり働くべき」という教訓になるかと思われます。
乃愛さんも七夕伝説についてはいろいろとお調べになったようですが、一番ロマンティックなストーリーのエッセンスを抜粋する形にされたようですね。この辺りの「外部の物語の取り入れ方」の判断含め、非常に乃愛さんらしいまとめ方になっていると感じました。
叙述トリックの仕掛け、かと思いきや。
七夕伝説で乃愛さんがひなたさんに伝えたかったのは、「愛し合ってる二人が引き離されて、年に一度しか会えないようにされちゃったんだって。かわいそうだよね」ということでした。
これをアバンとし、それを受ける形での「まるでそれは、アタシたちのように。」というタイトルコールがありました。ここでは千代りんさんのみならず、その場の誰もが「えっ? 乃愛さんひなたさんもそうなってしまうの?」と冷や冷やしたものと思います。
しかしながら、最後の方で判明しますがここの「アタシたちのように」という文言は別の形で回収されます。つまり、このタイトルコール自体がいわゆる乃愛さんの仕掛けた「ミスリード」であった訳ですが、非常に巧みだと感じたのはここのタイトルコール時点で受ける印象とは、まったくの正反対のベクトルで終盤に回収されるという点です。これには度肝を抜かれました。
通常、こういった「文章のからくり(叙述トリック)」は、落ち着いた環境でじっくりと考えないと作れないものです。何故なら、通常は物語全体の形を作者自身が把握した後に「味付け」として後付けされる類のものだからです。「こういう結末に持って行くから、最初はそうではない方向に読者の意識を向けておきたい」といった場合に、まさに目くらましのトリックとして使用されることが多い為です。
ところが、今回の乃愛さんはリアルタイムの即興公演会にて見事に叙述トリックを仕掛け、千代りんさんの反応にありますようにその目論見は見事に成功しています。乃愛さんにこの辺りのことをヒアリングしてみましたところ、
「七夕様のお話にしたかったから、タイトルは考えていたんだー。ヒナタちゃんと進めてるうちに最初のネガティブな印象をひっくり返せるかも。って思えてきたから、最後にプラスの意味に変えちゃったの。やっぱりネガティブなまま終わるのはよくないもんネ」
との回答をいただけました。
つまりこれはどういうことかといえば、乃愛さんとしては七夕伝説から受ける印象から、タイトルだけは事前に考えておいたということですが、ひなたさんとの掛け合いの進み方如何によっては違う物語になっていた可能性があるということです。即興ですので当然といえば当然ですが、今回に関しては公演会を進めていく過程でひなたさんからの積極的なアプローチにより乃愛さんの冷え固まった心がほぐされ、溶かされ、結果として「明るい未来を思い描けるようになった」ことから、ネガティブ方向から感情のベクトルが一気に反転した。ということになるようです。
これはもはや、叙述トリックを仕掛けて成功させた、といった文章構成の次元の話ではなく、まさに「公演会を通じて、乃愛さんがひなたさんの愛を持って救済された過程を全員が目撃した」結果として、副産物として生成された「叙述トリックとしても捉えることができる愛の物語」であったということになります。