丁寧に積み重ね、畳みかけてゆく「シリアスの種」
ここでの乃愛さんはこの後の展開に胸を痛めていたと思われます。何故なら、ここで観客のみなさまに分かりやすい形で丁寧に積み重ね、私たちの意識に畳みかけるように植え込もうとしている「シリアスの種」はすべて、この後「絶望」という形でひなたさんの中で芽吹くことになる為です。
ピンク色のアンダーラインを入れた箇所がその「シリアスの種」になりますので抜粋してみましょう。
・ひなたさんがセッションしていたのは「オカメじゃなくてヒョットコ」だった。
→何故ヒョットコだったのでしょうか。恐らく、オカメともひなたさんは踊ったと考えられますが、より多くの時間共に踊っていたのはヒョットコだったのかもしれません。その為乃愛さんの意識と記憶に強く残ったのは「ヒョットコとのダンスセッション」であったのではないかと。しかしながら、何故オカメとのセッションではなかったのでしょうか。
・ひなたさんが神輿を担ぐ様子が「とっても勇ましくてかっこよかった」。
→カワイイもの好きであり価値観の基準が「カワイサ」にある乃愛さんですが、ここでのひなたさんは「勇ましくかっこいい」という評価でした。何故「カワイイ」という評価ではなかったのでしょうか。
・ねじりハチマキ姿のひなたさんが「とってもカッコイイ」。
→こちらも同上です。何故「カワイイ」という評価ではなかったのでしょうか。
上記の「何故」はすべて、以下に帰結します。
「オトコノコみたいで、本当にヒナタちゃんかっこよくてシビレちゃったー☆」
以下は推察となりますが、恐らくこのようなことだったのではないかと思われます。
<推察1>
乃愛さんは無意識のうちに「ひなたさんを(かわいいオンナノコではなく)オトコノコと同質の存在として重ね合わせて見つめていた」という解釈になるのではないでしょうか。
<推察2>
オカメという「女性の姿の踊り子」と楽しげにセッションしてほしくないという「乃愛さんの女性としての独占欲およびジェラシー」が無意識に存在していた為、オカメとのセッションは乃愛さんの記憶から抜け落ちてしまい、相対的にヒョットコとのセッションのみが記憶に残ったのではないでしょうか。
<推察3>
ねじりハチマキは稲背な男性のするもの(※)、という江戸情緒あふれる感性をお持ちの方もいらっしゃいます。乃愛さんもそのイメージで「オトコノコの象徴」として公演会に取り入れたのではないでしょうか。
※ハチマキそのものは古くからあり、男女問わず装着していました。帽子が脱げないように上から押さえる為に、戦などで精神を引き締める為、髪をまとめるヘアバンドとして、汗が流れないように汗止めとして。様々な用途で男女問わず利用されてきましたので本来「ハチマキ=男性」という図式は必ずしも当てはまりませんが、お祭りにおけるねじりハチマキについてはその結び方に男性向け女性向けが存在します。描写はされていませんが、ひなたさんはもしかすると男性向けの結び方をしていたのかもしれませんね。
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エンジェリック・インタビューの後、乃愛さんからこの時の想いについてゲーム内メールをいただきました。ご本人の許可をいただけましたので、一部抜粋して掲載させていただきます。
この時のアタシは必死で、「このあとのヒナタちゃんの感じる絶望感に説得力を持たせないと」って一心でみんなに分かるように書いてたつもり。アタシがヒナタちゃんのこと無意識のうちに「オトコノコみたいに見ちゃってた」ってことをネ。だって、いつもの明るいヒナタちゃんなら、アタシがひとこと「わー、ヒナタちゃんカッコイイ! オトコノコみたーい☆」って言ったとしても「ありがとな!」って返してくれて、ここまで傷ついたりしないでしょ? だから、この時のアタシは「ホントに心の底からヒナタちゃんがオトコノコみたいだから好き」ってことをにじませないといけなかったの。
それで、ヒナタちゃんを泣かせちゃった後にアタシようやく思い出すの。「アタシはヒナタちゃんそのものが好きなんであって、オトコノコだとかオンナノコだとかっていうのは関係ない」ってことを。
最初のアタシはヒナタちゃんに絶望を叩きこむヒドイ子だけど、泣き崩れてるヒナタちゃんを引っ張り上げることができるのもアタシ一人だけで。ここだけはハナちゃんにもミャーさんにも頼れない、アタシとヒナタちゃんの1対1の真剣勝負だったから。だから必死で、ミャーさんみたいにドゲザもしたし、自分の本当のキモチ(オトコノコでもオンナノコでも~)をヒナタちゃんの目を見ながら伝えたの。許してもらえるなんて思ってなかったけど、今言わなきゃ、ここで伝えなきゃぜんぶ終わっちゃう! って思って。
このお話は、アタシがこの「ホントのキモチ」をヒナタちゃんに伝えたところで花火が上がって、そこでオシマイになるはずだったの。ヒナタちゃんがそれをどう受け止めたのか、アタシたちが結ばれのか、ダメだったのかは、みんなの想像におまかせの予定だったの。だから、花火が上がったあとのシーンはぜんぶアドリブで、地の文を書いてたヒナタちゃんが先導してくれたんだよ? アタシが傷つけて、アタシが絶望させたヒナタちゃんが、アタシのこと救ってくれたの。アタシ、もうホント嬉しくて・・・公演会やりながら泣いてた。でも、ちゃんと結ばれたからその後の幕間~ラストもイイカンジにイチャイチャする形に変更してネ・・・。
パパの言ってた「カタルシス」って、きっとこういうことなんだなーって思っちゃった☆
乃愛さん、詳細にありがとうございます。まさかあの「ひなたさんのひたむきな愛があふれるシーン」以降がアドリブだったとは……! 以前、花さんから「ひなたは原稿のない即興のほうがいいお話になりやすいので」とのお話をいただいたことがありますが、このことを指していたのでしょうね。天使ひなたさんの底力、恐るべし。
そして、乃愛さんも終始「わたてん憲章違反となること」を恐れていました。具体的には「自らのことを罵る」「相手を言葉や待遇で傷つける」という点でしょう。しかしながら、恐れ多くも私が評価させていただけるのであれば「何も問題なし」とします。
理由としては、今回の「贖罪。そして、永遠の。」というお話については全体的にシリアスであったこと。タイトルコールの時点から観客のみなさんは波乱が起きることを察知して身構えることができたこと。ただ谷底に突き落とすだけでなく、そこを物語の「谷」としてその後しっかりと上昇気流に乗せることができたこと。この3点から、お二人が紡ぎ出した物語は素晴らしいものだったと言えます。
観客として見させていただき、「心に痛みを伴うが、その痛みすらもカタルシスの原料となった」と読後に感じることができました。確かに、「谷を作る際に過度の表現は避ける」という憲章がありますが、この「過度の表現」とは乃愛さんたちの考えている表現よりもっと過激で救いようのない表現のことを指していますのでご安心くださいね。私も憲章の初版作りをお手伝いしましたので、編者の一人としてコメントさせていただきました。
おまけ
本章の冒頭で乃愛さんが「ヒナタちゃん、かっこよくてほわぁ~ってなっちゃった☆」とおっしゃっていますが、こちらの「ほわぁ~」も原作に登場した乃愛さんのリアクションとなります。
原作8巻131ページ(第68話) タイトル「世界一」
原作8巻132ページ(第68話) タイトル「知ってた」
まずはシチュエーションのご説明から。この第68話は6年生に進級した後の5月に、「お花見したい」と天啓を受けたかのように乃愛さんが発言されるところから始まります。ひなたさんもお花見する気満々だったのですが、そこで「今は5月であり桜は既に散ってしまっている」ことに気付く乃愛さん。みやこさんたちとアイデアを出し合い「布で手作りしたお花を見る」という形の「お花見」にしようということで落ちつきました。上記はそのお花見の準備をみなさん総出でされている様子となります。
131ページの方の3コマ目のリアクションが掲題の「ほわぁ~」になるのですが、その次の132ページ目も掲載しました。理由としましては今回の「贖罪。そして、永遠の。」に登場しました「ひなたさんの世界一/宇宙一葛藤問題」のベースとなるお話の為です。
乃愛さんが「ほわぁ~」となっている時はこのように愛らしいお顔であること、原作に於けるひなたさんによる「世界一/宇宙一」発言に対する乃愛さんのリアクションは意外と朗らかなものであること。
これだけ集中的に、色濃く原作から表現を抜粋されていることから、もしかすると「原作単行本を持ってる人は、公演会後に読んでみてネ☆」というメッセージが込められているのかもしれませんね。今回の公演会はシリアス気味であった為に、「シリアスに寄りすぎることのない原作のニュートラルな味付けも知っておいてほしい」というメッセージであろうと思いまして、こちらに掲載させていただきました。
原作、アニメ、公演会。それぞれの「星野ひなた、という人。」
まず、長くなりそうですので本題から。千鶴さんがコメントされているように、ここでのひなたさんは「宇宙一のみやこさんと世界一の乃愛さん」について
・本当はのあのことが一番好きなんだけど、それを言っちゃうと恥ずかしいから「みゃー姉が宇宙一で、のあが世界一」ってことにしてる。
とおっしゃっています。これは非常に「こちらのひなたさん」らしい、どなたのことも傷付けることのない解釈の仕方であり、かつ原作の「星野ひなたさん」のことも否定をせず上手に取りこむことに成功されています。お見事ですね。
公演会においては、「こちらのひなたさん」の解釈のロジックと、原作およびアニメでのひなたさんの解釈のロジックを比較してみるのも楽しみのひとつと捉えております。
以下、原作・アニメ・公演会における「ひなたさん像」についての所感と余談となります。
非常に個人的なお話となりますので恐縮ですが、わたてん!において最も理解の難しい感情の持ち主は「星野ひなたさん」ではないかと感じております。ひなたさんというと、原作単行本とアニメでは「みゃー姉至上主義」なところがあり、この点で松本香子さんと「類友」と周囲から評価されています。この点は「こちらのひなたさん」ももちろん原作踏襲という観点でしっかりと踏まえていらっしゃるのですが、実は対応の仕方に大きな開きがあります(※)。
※誤解の無いように予め記載させていただきますと、「こちらのひなたさん」が原作踏襲できていないという話ではありません。むしろ、原作とアニメでは「生きている人間としては非常に無理のある感情を抱えている」のですが、こちらのひなたさんはその点をとても上手に消化吸収しており、より洗練された「星野ひなた」像を見せてくださっています。
この「対応の仕方に出る差」というのはつまり、みやこさんと乃愛さんの両方が登場した時の立ち居振る舞いのことを指しています。具体的なシーンで比較してみましょう。
例)原作9巻より、ひなたさんのお誕生日会でのシーン
原作9巻7ページ タイトル「偽物より本物」
原作9巻8ページ タイトル「光と闇」
ご覧のように、原作でのひなたさんは「誕生日プレゼントとして(みやこさん変身セットを身に着けた)自分をプレゼントしようとしている乃愛さん」のことを「みゃー姉いるからいい」と一蹴し、次のページでは花さんですら声をかけづらいオーラを出す落ち込んだ乃愛さんには目もくれずにみやこさんと楽しくおしゃべりをされています。
(一応、この次のページにてひなたさんは乃愛さんの様子に気づかれますが、それでも「どうしたんだ? 元気ないな」と乃愛さんに声をかけていますので、何故乃愛さんが傷付き落ち込んでいるのか理解できていない(もしくは乃愛さんが傷付いていることに気付いていない)ことが読み取れます)
恐らく、このようなシーンの場合「こちらのひなたさん」であれば
・乃愛さんの想いを汲んで、「のあ、ありがとな!」と感謝の言葉をかける。
・落ち込んでいる乃愛さんにすぐ気づき、「みやこさんから一旦離れて」乃愛さんをなぐさめる。(よーしよしよし)
といった対応をされることは、みなさん想像に難くないと思います。このような点が、先ほど申し上げました「対応の仕方に出る差」であり、「こちらのひなたさん」が如何に乃愛さんのことを思いやり、深く愛しているかの証左となっています。
「生きている人間としては非常に無理のある感情を抱えている」と申し上げたのは、「恋は盲目」といった表現を大きく逸脱するレベルで視野が狭くなりすぎてしまい、「(恋人でなくとも)大切なお友だちが傷付くことを想定できず、実際に落ち込んでいてもそれに気づけない」という状況に陥ってしまっているからです。
「こちらのひなたさん」はここについて非常に深くまで追求されていることが見て取れます。乃愛さんと二人きりの時は言わずもがな、そこへみやこさんが合流されたとしても「乃愛さんを放り出してみやこさんに飛び付く」といったことは絶対にされないからです。
上記の通り、みやこさんが居る時の乃愛さんへの対応の仕方が雑すぎるという点以外にも、ひなたさんの使う「好き」という言葉の定義が難しいことが更に難易度に拍車をかけています。こちらも具体的なシーンを見てみましょう。
例)原作10巻より、運動会でのシーン
原作10巻95ページ タイトル「借り物競走」
原作10巻96ページ タイトル「優柔不断」
原作10巻97~98ページ
いやはや、「不憫かわいい、ここに極まれり」という感じですね。乃愛さん、心中お察しします。
乃愛さんとしては「好きな人としてヒナタちゃんに来てもらった=アタシがヒナタちゃんのことを好きだって知られちゃった=告白しちゃったも同然>ω<」といったところですが、一方のひなたさんは「友人としての好きってことだろうし、だからわたしと花で迷ってたんだな!」と。
この状況で、乃愛さんはどのようにすれば真意が伝わったのでしょうね……(遠い目)。
※ここのひなたさんの感情に関しては色々と深読みが可能かと思います。例えば、仮に乃愛さんが「ハナちゃんでもダイジョーブ! と迷う素振りを見せずにひなたさんだけに「こっち来て!」と言っていた場合」であれば、もしかしたらひなたさんもラストで「親友としての好きではなく恋愛対象としての好き」なのではないかと気付けたかもしれません。つまりひなたさん側の心情として「私か花で迷うってことは、ノアも「親友としての好き」って意味なんだろうな」と捉えた可能性がある為です。また、運動会の競技というシチュエーションであったことから、「ノアもまさか恋愛対象として好きな人をみんなの前で連れていくなんてことしないだろうし。だからこれは親友として好きってことなんだろうな」と捉えた可能性もあります。頑張った乃愛さんにとっては辛い状況ですが、これらの可能性からもしかすると「ひなたさんが勘違いできない状況」を作り出した上で告白することで、想いをストレートに届けることができるかもしれませんね。
と、このように乃愛さんにとっては「一世一代の告白」であったであろう行動も、ひなたさんとの認識のずれからそう捉えてもらえず打ちひしがれるという。
この構図(友だちとしての好きと恋人としての好きの認識相違)は、特に同性愛を取り扱う物語では最頻出のファクターです。むしろここに触れない作品はないと言っても過言ではありません。ただ、わたてん! においてはこのように「確かな愛情に裏打ちされた真の意味での愛の告白」を実施した人はみやこさん以外にいらっしゃいませんでしたし、そのみやこさんも伝えた花さんに「お菓子一生食べ放題!」と解釈をされて拍子抜けしていましたが「それもまたよし」とされたのかさほどショックではなかったご様子でした。その為、このように告白(に近いこと)をし、結果認識の相違により肩透かしからの多大なショックを受けたのはわたてん! という作品を通してここでの乃愛さんが初めてということになります。
公演会において、これまでも積極的に「乃愛さんへ愛を語り、告白し、相思相愛になってきた」こちらのひなたさん。
果たして、上記のような「乃愛さんが傷付き落ち込むと想定される事態」にどのような対応をされるのでしょうね。そのようなことを想像できる点もまた、公演会での「星野ひなたさん」の可能性を感じられて楽しいものですね。