「…あんたってさ。ホント、甲斐性のない男だねぇ…」
「フン… お前も人のこと言えないがな」
「な、なんですって? あんたは大体ねぇ…」
最近ミキが何かと口やかましい。以前にも増して小言が増えている気がする。
だが、言うに事欠いて甲斐性なしとは…言ってくれる。
こんな朝から俺を挑発してどうしようというのだ? まったくこいつの魂胆が見えん。
これが女心というヤツなら、俺には一生理解できそうにないな。
「…そんな話ならまた今度にしてくれ。俺はこれから寝るところなんだ。じゃあな」
「あ… ちょっ、待ちなさいよ…っ」
俺はミキを適当にかわして、家路についた。
ダークエルフは基本的に夜行性だ。夜の帳が落ちてから朝日が目にしみるようになるまでの間、俺は一人で狩りをしていた。
本当はミキのサポートがあると助かる。いくら回避に磨きをかけていても限界回避というものがあり、四回に一回程度の頻度でどうしても攻撃を受けてしまうからだ。
だが、あいつに弱みを見せたくない俺は、自分から助けてくれとは言えずにいる。
――俺もミキと同じで素直になれない性格なのかもな――
それに思い当たり、今更ながら一人苦笑する。
それにしても… 甲斐性がないとはどういうことだ?
気づけば俺は、何度も先ほどのミキの言葉を思い返していた。
【甲斐性のない男だねぇ】
何故こんなにもあいつのことが気になるんだ?
こんなもの、いつものあいつの挑発だ。何も殊更に気にする必要はないはずだ。
だが… 何かが俺の中で引っかかっている。何か違和感があるのだ。
あの言葉を言ったとき、ミキは…
…いかん。とてもじゃないがこれでは寝付けない。少し酒でも飲むか…
そう思ったとき、道端で小娘と会った。
「あ、ミコちゃんだ。おはようございまぁす!」
「あぁ… おはよう。朝から元気だな」
小娘は子どもらしい、規則正しい生活をしているそうだ。
朝は爺さんと同じくらいに起き出して、家族の朝食を作るのが一日の始まりなのだと聞いたことがある。
“お父さんは朝はパンで、ひいおじいちゃはごはんなの”
“だからね、どっちでも合うおかずを作るの。目玉焼きとかぁ”
意外と家庭的な小娘の日常を聞くと、目の前の小さな娘が本当にただの町娘のように思えてくるから不思議だ。
――実際には六十二名の戦士を束ねる血盟のトップなんだがな――
そう意識していなければ簡単に忘れてしまうほど、目の前にいるのは「普通の娘」だった。
そんなことを考えて俺が黙っていると、小娘が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
「ミコちゃん、お顔がこわいけど大丈夫? ミキちゃんと何かあったの?」
“この顔は生まれつきなのでな”
そう軽く返そうと思ったが、やめておいた。ミキの名が出たからだ。
あのホワイトデーの後、俺とミキとのことで小娘を散々悲しませてしまった。
小娘はあの時「血盟主」としてではなく、この俺の「母親代わり」として道を正したいと言った。そして、その小娘の熱意と意志の強さにより俺は言葉通り改心し、あの後ミキに謝ることができたのだ。
十四歳の子どもが持てる覚悟ではないと思うが… だがあの時の小娘はどこまでも本気だった。だから俺は、小娘がミキのことを話すときは逃げずに正面切って話そうと決めたのだ。
それが恩義に報いることだと思うからだ。
「あぁ、ちょっとな… 小娘、暇なら少し付き合ってくれ」
「ふぇ? あ、はぁい」
小娘は少しだけ小首を傾げると、すぐに賛同してくれた。
俺はこうして、飲み仲間と話し相手を獲得して自宅へと向かったのだ。
DOSANの妻、という人。番外編
仕返しという名の、照れ隠し。
§
「わぁ… ここがミコちゃんのお部屋なんだね。薄暗いけど、意外ときれいかもぉ」
ほとんど寝る為だけにあるような俺の部屋は、ブラインドも常時閉じており確かに薄暗い。
また、滅多に人を上げない俺の部屋は本当に必要最低限の物しか置いていない。それが逆に整理整頓されているという印象に繋がったのだろう。小娘はしきりに感心していた。
「…確か小娘は酒を飲めるんだよな? ワインでいいか?」
「あ、うんうん… でもぉ、朝からお酒なんていいのかなぁ…」
「まぁ、あの堅い父親に何か言われたら俺に飲まされたと言っておけ」
「ふぁい」
“って、あんた娘ちゃんを部屋に連れ込んで強いお酒飲ませて…何するつもりなのさ!”
…何かミキの声が聞こえた気がしたが、恐らく空耳だろう。
俺は秘蔵のドレビアンワイン――200年ものだ――を取り出し、グラスを2つ持って小娘の元に戻る。肴は…新鮮なミルクで作ったチーズがあったな。あれでいいか。
机をはさんで反対側に小娘を座らせ、ワインを手に取る。
クリスの先端を使ってコルクを抜くと、キュポンといういい音が静かな部屋に響き渡った。
トクトクトク…
グラスに注ぐ音もいい。これの原材料がまさかアレだとは、到底思えん美しさだ。
それぞれグラスを手に持ち、コツンと軽く乾杯し口へと含む。
舌の上で転がすと、芳醇な甘い香りが鼻腔へと抜けていく。
そしてドレビアンワイン特有のピリリとした刺激を舌に感じながら飲み込むと、微かな余韻を残しながらも後味はスッと消える。
これは… うまいな。
今度ミキにも飲ませてやるか。一人で飲んでもつまらんしな…
俺がミキのことを思い出した、その時。
それまでくぴくぴとかわいらしくワインを味わっていた小娘が、静かに聞いてきた。
「…ミコちゃん。それで、今日はどうしたのぉ?」
「あぁ… さっきミキにキツイことを言われてな…」
「…そぉなんだ。でも、こないだ仲直りはしたんでしょお?」
「お前のおかげだ。あの時、お前が正してくれなければ、今頃俺は…」
「はうぅ… あの時のことははずかしいからぁ…」
小娘はそう言うと、桜色の頬を両手で隠した。
もうアルコールが回ってきたのか。いや、単に恥ずかしがっているだけか。
俺はチーズを食みながら、減ってきている小娘のグラスにワインを注ぐ。
小娘はグラスを両手で持ち、ほわほわとした笑顔を浮かべている。どうやらこのワインは小娘の口にも合うようだ。
「…んと、キツイことって?」
「…ミキがな、俺のことを『甲斐性なし』だと言ってのけてな。俺はそんな風に見られていたのかと…」
「ふみゅ… かいしょーなし? って、なぁに?」
小娘は頭の上に「?」を三つほど浮かべ、小首を傾げている。
アルコールのせいか、小娘は少し潤んだ瞳で俺を上目遣いで見つめている…
うっ… 何だ? この破壊力は…!
グレン辺りなら卒倒するかルパンダイブしているかのどちらかだろうな…
と冷静に分析してみたものの、俺は鼻血を出さないよう堪えるのに必死だった。
「か… 甲斐性なしというのは、頼りがいのないダメなヤツということだ。ただの挑発だと思うがな…」
俺は顔を上に向け、後頭部を軽く叩きながら小娘に教える。
それを聞いた小娘は、俺の様子など意に介さずグラスに注がれたワインの表面をじっと見ている。
――薄暗い部屋で、幼い娘が、ぼんやりと、血の色の液体を見つめている――
妙に扇情的なその光景に、俺は軽く眩暈を覚えた。
いかん。また鼻血が…
「そっかぁ… しふぉんちゃんはどう思う?」
「うーん… どういう感じで言われたのかな。ミキちゃんって素直じゃないから、もしかしたら…」
ん…? 俺も酔いが回ってきたかな。小娘が2人に見えてきた。
ドワチェンを着た小娘はおもむろに新しいグラスを用意し、おもむろにワインを注ぎ、おもむろにナイトメア重装備の小娘に勧めている。
「かんぱーい♪」
あぁ、しふぉんか。髪の色が違うと思ったよ。相変わらずタヌキの耳がかわいらしいな。
そうだ。良ければこのチーズもどうだ。このワインに良く合って…
と、そこまで思考が空転したところで、俺はようやく気づいた。
「何 故 し ふ ぉ ん が こ こ に い る ! ?」
「あ、わたしが血盟チャットでお誘いしたの。おいしいワインだから、みんなで飲みたいなぁって」
「ミコちゃん。おじゃましてまーす」
ま、まぁいい。いつもしふぉんは何かと俺たちの傍にいるからな。
例の温泉旅行の時はミキに抱きついていたようで、少し羨ましいと思ったのは内緒だがな。
温泉旅行か。あのアッパーは強烈だったな…
あの後の小娘の張り手もそうだが、何故ああいう時だけ回避率が無視されるんだ?
もしやスキルか? スキルなのか? 必中スキルなら仕方ないか…
「おはですー」
「あ、ここなんですね~ お邪魔します~」
「あ、ヒメさんとリブロースちゃん。いらっしゃい」
「えと… お邪魔、します…」
「いちごみるくちゃんもおはよー」
「祖父のグリフがお世話になってますー 今日はよろしくです~」
「チェフェイちゃんもおはよぉございまぁす」
スキル回避は三次スキルだったかな…
将来のスキルについて思いを馳せていた俺は、いつの間にかわらわらと増えているドワーフたちに気づかなかった。
「ねー? おいしいワインでしょお? ミコちゃんがごちそうしてくれたんだよぉ」
「わーい。ごちそうになりますー」
「ついでなんで、優子も呼んじゃいました。あとめるさんも」
「どもー。ニンギョの双子の妹ですー」
「フッフッフ… ここがミコちゃんのマイハウスか~! 薄暗くて落ち着くねぇ。あ、そだ。ついでにSSSも作ろっと」
「なんかここで酒盛りやってるって聞いたけど… うへぇ、ホントに朝っぱらからやってるよ」
「あ、メイフィちゃんもいらっしゃい~」
「今 仕事が大変で… 遅くなりました」
「ちょろさんだ~ わーい!」
「先日入隊しました、尚ちゃん&一平ちゃんです。今日は尚ちゃんで来ました。よろしくです~」
「うんうん。尚ちゃんもおいでおいで~」
…いや、待て待て…。
俺の部屋に今、一体何人いるんだ?
一、二、三… 十一人のドワーフと、俺とで十二人か…。
そうか。こんなに俺の部屋は広かったのか。なるほどな。それはよかった…
と、一瞬現実逃避しかけたが、何とか踏みとどまった。
「お… お前たち、何故ここにいるんだ?」
きゃいきゃいと黄色い声を上げているドワーフ達には、俺の声は届くはずもなく…
もう宴会とすら言える規模になっている飲み会は、当初の目的を大きく変えてただのドワッ娘懇親会になりつつあった。
§
「さすがにおつまみが足りないね」
「あ、リブロースちゃんがいるからみんなで」
「!!!」
「…冗談だよぉ。わたしがなにかおつまみ作ってきまぁす」
「いあいあ、半分本気だったデショ…」
俺の秘蔵のワインが五本程空にされ…
小娘が笑えない冗談を放ちつつ、肴を作りにキッチンへと消えていった。
みな和気藹々と楽しげに会話をしているが、狭い部屋にこれだけの人数がいる為全員が座れる場所はない。そのため「仕方なく」俺の両膝にいちごみるくとしふぉんを乗せているが、その二人が俺を挟んで話をしている。
「私、男の人の部屋に入るのはじめて… なんか緊張しちゃう」
「うん。わたしも。 でも、ミコちゃんにはミキちゃんがいるから、変なことされないよ。きっと」
「変なことって?」
「それは…」
…何故そこで俺を見る。そしてしふぉん、その桶はなんだ。
まったくどいつもこいつも… 俺はそんなに危険人物か?
俺はただ静かに鼻血を流しているだけだ。お前達に何もしていないではないか。
別にこれといっておかしなところはないだろう? なぁ、みるく。
若干怯えているように見えるみるくをなだめ、ワインを注いでやる。
そういえば小娘には確認したが、他の連中もみな飲めるのだろうか?
五本のうち半分以上はしふぉんが空けたようだが、よく見るとみるくも少しずつではあるがちびちびと飲んでいるようだ。
みるくからは香水のような甘い香りがする。例えるなら、イチゴのような香りか。今のような至近距離でなければ気づかないが、普段から付けているのだろうな。
しふぉんからも抹茶のような清々しい香りが漂う。二人とも小娘によってデザートにされないか、今から心配だ。
そんなことを考えているうちに、いつしか場の話題は俺とミキのことに移っていた。
「そんでー? 今日はミコちゃんをなぐさめる会だっけぇ?」
「やー、ただ愚痴を聞いてもらいたいだけなんじゃないのー?」
「それなのにさっきから黙っちゃって… もう、ミコちゃん恥ずかしがりやさんなんだからー」
「う、うるさい… 甲斐性なしと言われた男の気持ちがお前達に分かるか…」
「それ、ミキちゃんに言われたの? どんな感じで?」
「どんな感じと言われてもな… そうだな…」
先ほど、しふぉんにも同じ事を聞かれたな。そんなに大事か?シチュエーションとやらは…
【甲斐性のない男だねぇ】
そう言われた時、俺は違和感を感じた。
何に対しての違和感だったのだろうか。すぐには思い出せないが…
「ミキちゃんって、つんでれ? っていうんだっけ。思ってることと反対のこと言っちゃうとかぁ」
肴を持ってキッチンから戻ってきた小娘は、皿をテーブルに置きながらそんなことを言った。
ツンデレか… ミキ自身はそういう性格分類に当てはめられることを嫌っているが、どう見てもそれとしか思えない言動なんだよな。だが、俺に対してデレたことはあまりない。ということは、やはりミキはツンデレではないのか。
それとも… 本当の恋人は別にいるのか…
「あー、でもね。ミキちゃん前に「ダメなヤツほどかわいいのさな」って言ってたかもね」
「それわたしも聞いたかも。「あたしが支えてやらなきゃあって思うのよね」とか」
「言いそうw」
「えー? それじゃあ「甲斐性なし」っていうのも、それなのかなぁ…?」
「まったく、回りくどい公認カップルもいたもんだ」
「そっか。ミキ×ミコはミスリル公認だっけ?」
「うんうん。みんなで応援しましょお!」
「今夜あたり押し倒せーw でもそうするとまたアッパーされるかにゃw」
「でも、二人っきりなら意外と平気かも?」
…まぁ、その。何だ…
いい具合に盛り上がっているようで何よりだ。
まさか俺が酒の肴になるとは思ってなかったがな。
しかし、「ダメなヤツほどかわいい」か…
そう言われて、俺はようやくあの時に感じた違和感の正体に気づいた。
――妙にやさしい声と表情だったんだよな。あいつは――
そうだ。「甲斐性なし」というその言葉だけ捉えれば非難の声にしか聞こえないが、それを言った時のミキは慈愛に満ちていて… まるで聖母のような感じだった。
もしかすると、あれはミキなりの前フリだったのだろうか。
だが、疲れていた俺はいつもの挑発だと考えて、言葉尻だけを捉えて無視したのではないか?
まずいな… もしそうだとすると、俺は心を開こうとしていたあいつを拒絶したことになる。一度ミキに会って話を聞くか。もっとも、拒絶した俺にまた会ってくれればの話だが…
俺が物思いにふけっていると、家捜ししていたのであろうメイフィが俺の寝室から一冊の本を持ってきた。
「月刊カーディナルって本をベッドサイドで見つけたけど、これってエロ本だよね」
「あー、やっぱりミコちゃんも男の子かー」
「ミコちゃんどんだけー」
「えろほんって、なぁに?」
「な… それはミキのことをだな…」
「にゃるほど。ミキちゃんのことを思って、夜な夜な…w」
「ええい、やかましい! いい子だから返せ!」
俺は膝の上のみるくとしふぉんを一旦床に座らせ、メイフィに急接近すると本を奪い返そうと躍起になる。メイフィはすぐさま本を小娘にパス。俺も急遽方向転換し、小娘へと駆け寄る。
「わぁ… これがえろほんっていうんだね。 あ、ミキちゃんがマジェローブとかアルカナローブ着てるお写真がのってる~」
「…小娘。読まなくていいから返すんだ!」
俺は小娘に全速力で接近する。あと少しで本に手が届くというところで…
床に転がっていた空き瓶を踏み、盛大に転んでしまった。
ずるっ
どしゃあああっ
ゴンッ!
くっ…!
脳天に激痛が走る。なまじ移動速度が高い俺は、狭い部屋の中で転んだことで受身も取れず、ものすごい勢いで頭から壁に激突した。
「救急車…もとい、救世主一名を手配! 急いで!」
「…あうあう、ミコちゃんだいじょうぶ? ミコちゃん、ミコちゃ…」
俺が最後に聞いたのは、俺の名を呼ぶ小娘の涙声だった。
――あぁ、結局俺は女を泣かせてしまうんだな――
薄れ行く意識の中でぼんやりとそう思い…
そして俺の意識は闇に飲まれていった。
§
ふと気づくと、もう夕方になっていた。
かなりのダメージを受けたはずだったが… どうやら俺は死んではいなかったらしい。
周りは妙に静かだった。つい先ほどまで部屋を占めていた黄色い歓声は既になく、いつもの俺の部屋がそうであるように静寂で満たされていた。
小娘が枕でも置いてくれたのだろう。後頭部にやわらかい感触を感じながら、俺は仰向けのまま右手を自分の顔の前まで持ってくる。
利き腕の右手が動かせるかを確認する為、幾度か手を開いては閉じてを繰り返してみる。どうやら正常に機能するようだ。
ふいに、閉じた俺の手が暖かいもので包まれる。それは白く細い手だった。
誰の手だ…?
そう思って意識を周りへと向けてみる。すると、包みこまれている俺の手の向こう側に、ミキの顔が見えた。
ミキはとても心配そうな顔をして俺を横から覗き込んでいた。普段は見せないその表情に、俺は幾分鼓動が早くなるのを感じた。
「…ようやく起きたみたいね。まったく、心配かけさせんじゃないわよ」
そういいながらも、ミキは相好を崩していた。そして俺の前髪を梳きながらうっすらと頬を染めている。
何だろうな。この感じは…
くすぐったいような、普段ミキとの間にはない空気が流れているような、そんな気がした。
「…すまん。心配させてしまったようだな。思ったより軽症だったようで、何ともないぞ」
「そりゃよかった。メジャーヒールしておいた甲斐があったわね」
ミキがヒールしてくれていたのか。なるほど、それはよく効くはずだ。ほとんど痛みが消えているのはその為か。
礼を言う為に体を起こす。すると…
枕だと思っていたものは、ミキの太ももだったようだ。
これはつまり… 膝枕というやつか…!
「す、すまん。膝枕までさせているとは思わなくてな… もっと早く起きるべきだったな」
「…あたしはもう少しこのままでいたかったけどね…」
「ん? 何か言ったか?」
「べ、別に何も? それより、娘ちゃんから聞いたわよ」
「な、何をだ?」
「いろいろと、よ。あんた、朝っぱらから幼女連続誘拐して酒を飲ませてたんですって? まったく、あんたのロリコン趣味もここに極まったわね」
「い、いや、違うんだ。俺は小娘とサシで話をしたかっただけで、他の連中はいつの間にかわらわらと…」
「ふーん。でも娘ちゃんを部屋に連れ込んで二人っきりで飲んでいたのは認めるのね?」
「う…」
ジト目のミキに対し、俺は何も言い返せなかった。
今思えば、どうして俺はあんなに小娘にこだわっていたのだろうか。
愚痴を聞いてもらうだけなら守護神でも賢者でもよかったはずだ。あいつらなら恐らく黙って聞いてくれただろう。
ミキが言いたいこともよく分かる。他の女を自室に連れ込んで酒を飲み交わし、挙句その時の話題はミキに対する愚痴だったのだ。
また俺は取り返しの付かないミスを… 過ちを犯してしまった。
ミキに合わせる顔がない…
俺が思いつめて俯いていると、急にミキが笑い出した。
「ふっ… ふふっ あははっ …あんた、意外と真面目なのねぇw」
「なっ…」
「言ったでしょ。いろいろ娘ちゃんから聞いたってさ。あの子はすべて話してくれたわ。朝からずっと悲しそうにしてたっていう、あんたの様子も含めてすべてをね」
「……」
「あの子言ってたわ。『ミコちゃんはなんにも悪くないんだよぉ。ミキちゃんに言われたことがショックで、一緒に飲める人を探していただけなんだよぉ』ってね」
「小娘…」
そうか…俺は自分でも気付かぬうちに悲しみを滲ませていたのか。
すると、あそこまで大人数を集めて無理やり賑やかな会にしたのも、小娘の気遣いだったのか…?
俺が無言で考え込んでいると、ミキは俺に正対するように正座し…
そして、こう言ったんだ。
「…ごめんなさい。あたし、あんたのこと傷付けた。良く考えたら、男に甲斐性がないなんて冗談でも言っちゃいけないことだったわ…」
ミキはそう言うと、軽く頭を下げた。
俺は動揺を隠せなかった。俺が考えている通りなら、本当に謝るべきは俺の方だからだ。
だから俺も姿勢を正してミキに伝えた。
「ミキ、頭を上げてくれ。お前はきっと、言葉通りの意味で言った訳ではないんだよな?」
「え… う、うん。 でも、それは…」
そこまで聞いた俺は、ミキの両肩を掴んだ。
ミキは悪くない。察してやれなかった俺が悪いんだ。
その思いを伝えたくて、ミキの言葉を遮った。
「俺の方こそすまなかった! あれもお前の愛情表現だと、あの時に気づけなかった俺が悪いんだ。だから…」
「あ… 愛j…」
少し強く掴みすぎているかもしれんな。ミキの顔が赤くなっている。だが、ミキは顔をしかめることなく俺を見つめている。
最後まで言わなければ。
今、ここで、ミキに。
「だから、お前は… ミキは悪くない。そんなに謝らないでくれ…!」
俺は言うだけ言うと、ミキの肩から手を離して謝った。
男だ女だという概念はどこかに行ってしまっていた。
ただただ、人として申し訳ないことをした。そのことを詫びたかった。
「…光刃。あんたさ、温泉旅行の時に心にもない言葉をあたしに言ったでしょ」
「……」
忘れもしない。あれは俺の汚点だ。
よりにもよって好… いや、ミキに対してあんなことを言ってしまったのだ。それをネタに滅茶苦茶に罵倒されても仕方ない。いくらあの時の俺が不安定だったとはいえ、謝って赦してもらえるようなことだとは思っていない。
俺は処刑前の罪人のような気持ちで、ミキの言葉を待った。
「だからさ、今日のは軽い仕返しのつもりだったのよ」
「ミキ…」
「でもね。やっぱり軽率だった。あの温泉旅行の時に、光刃のひとことで自分がどれだけ落ち込んだか分かっていたはずなのにさ…」
だから、ごめんなさい。
ミキはもう一度だけそう言うと、やわらかい笑顔になった。
§
きっと、ミキはもう温泉のときのことは根に持っていない。
あれからホワイトデーの時の離別があり、小娘に仲裁される形で俺たちは仲直りし…俺たち二人は、それまでよりも距離が縮まったのだ。
だから「軽い仕返し」というのも、本心からではないのだろう。
とすると、やはり今日のあれは…
「…ミキ。俺はうちのドワっ娘連中から聞いてたぞ。お前はダメなヤツほどかわいいと思えるそうだな」
「あ… そ、それ誰から?」
「自分が支えてやらなければならないと。お前はそういうヤツが好きなんだよな。きっと」
「え… ええと… それは、その…」
先ほどまでとは打って変わって、ミキは動揺している。やはり俺が考えていた通りのようだ。
「確かに俺は、甲斐性がないのかもしれん」
「こ、光刃、だからそれはごめんって…」
「お前から見たら俺は、頼りなく、何事も不器用で、放っておけないバカなヤツなんだろう」
「そ、そんな…こと…」
「いや、いいんだ…。俺も本当は分かっているんだ。スタンに弱い俺は、いざという時にお前を護れないかもしれない。誰かと話をする時も、自分の不器用さに呆れかえることが多いんだ」
「光刃…」
互いに素直になれないのなら、どちらかが素直になるしかない。
この時の俺は、普段壁となっている恥ずかしさやプライドといったものがきれいに消え失せていた。
ミキの為に。そして、自分の為に。
俺は素直になろうと決めた。
「不器用な俺だが、いつもお前のツッコミで過ちに気付けるんだ。機転の利くお前は、俺が凍り付かせた場の空気も癒してくれるしな」
「お前のヒールはもちろん、お前が中途半端だと思っている補助魔法も、俺にとってはとてもありがたい。だが、魔法云々よりも…」
「お前が傍に居てくれることが、俺にとって一番嬉しいんだ」
「だから… これからも俺の傍にいてくれ。ミキ…」
日は沈み、部屋は闇に飲まれようとしていた。
微かに見えるミキの顔は、涙で濡れているように見えた。
あぁ… また俺はミキを泣かせてしまったのか…
不器用な自分を、今ほど恨んだことはなかった。
「は… はずっ… 恥ずかしいセリフ、きん… 禁止よ… うぅ…っ」
「…すまない。俺はお前に笑っていてほしいのに、いつもこうして泣かせてしまうんだよな…」
「これ、は… 違うの。 違うん、だからっ…」
ミキは嗚咽を漏らしながら、やっとのことでそれだけ言った。
もうその後は言葉にならず、俺の目の前でミキは声を上げて泣き始めた。
それはあまりに痛々しく、恐らく誰も見たことがないであろう無防備なミキの姿だった。
今の俺に、何ができる?
ミキの為に何をしてやれる?
そう考えるより先に、体が動いていた。
「あ… 光刃… あたし、あたしは…」
「…何も言うな。落ち着くまでこうしてやるからな…」
気付けば俺はミキを抱きしめていた。壊れ物を扱うように、そっと。
良く考えると、俺はこうして誰かを抱きしめたことは過去に一度もなかったかもしれない。
小娘に諭されたときも、一方的に抱きしめられていた。そんな弱い俺だが…まさかこんな日が来るとはな…
小さな感慨にふけっていると、ミキは少し落ち着いてきたのか嗚咽が小さくなってきた。
「…ありがと。あたし、嬉しすぎて… 父さん達に赦された時みたいに、嬉しくて涙がでてきたの。だから大丈夫よ…」
「そうだったのか… 俺はまた俺のせいで泣かせてしまったかと…」
「ふふっ… ホントあんた、そういうとこ不器用っていうか鈍感よねぇ」
少し腕を緩めてミキの顔を見る。
ミキは泣きながらも微笑んでいた。それは艶然とした美しい笑顔だった。
「…光刃…」
「…ミキ…」
互いの名を呼ぶ。それ以上、もう言葉は必要なかった。
ミキが俺の背中に腕を回してくる。俺もそれに応えるように、先ほどより強く抱きしめる。
あと十センチ… 五センチ…
ミキが目を閉じる。あぁ…きれいだ。ミキ…
曖昧だが、あと三センチ程… 俺も目を閉じる。
夜の闇が支配する俺の部屋で、二人の影がひとつになろうとしていた。
§
「あ、ミコちゃん。さっきのえろほんだけど、わたし持って帰っちゃってて… あれ?」
突如表れた小娘に驚いた俺たちは、尋常ではないスピードで互いに距離を置いた。
その距離五メートル。俺もミキも、いつの間にかシャドーステップを習得していたようだ。
普段から使えるといいんだがな、これを。
「ミキちゃん、ミコちゃんのこと診てくれてたんだね。どぉ? 元気になったかなぁ」
「え、あ… そ、そうね。もう全然平気みたいよ?」
「そっかぁ。よかったぁ。 あ、ミコちゃんごめんね。大事な本なのに… はい、どうぞぉ」
闇に紛れていた為、小娘は直前までの俺たちの様子に気付いていないようだ。
そのことに安堵しながら、俺は小娘から本を受け取る。
「あ、あぁ。わざわざありがとうな。あと、言っておくがこの本は…」
「…ちょっと光刃。あんた娘ちゃんになんて本を貸し出してんのさ!」
「これか? この本はミキ、お前のことを考えて…」
「ばっ… あ、あんた娘ちゃんの前で…っ!」
どうやらミキまで誤解しているようだ。これだから女ってヤツは…
小娘に至ってはそもそも「えろほん」という言葉の持つ破壊力をよく分かっていないようで「?」を頭に浮かべている。
俺が二人にそれぞれ説明してやろうと思った矢先、ミキが立ち上がって仁王立ちになった。
「バカ光刃! もうあんたなんて知らない!」
それだけ叫ぶと、ミキは部屋を飛び出していった。
おいおい… 俺には弁解の機会すらないのか…
残された小娘と顔を見合わせる。小娘は「ふぇ」とか「あうあう」などと言って困っているように見えたが、本当に困っているのは俺の方なんだぞ…
「まったく… 本当にいいタイミングで登場するよな。お前も」
「あ… やっぱりおじゃまだったかなぁ…?」
ん? やっぱりだと?
ふと小娘を見やると、ドワチェンの裾を引っ張りながら頬を紅潮させてもじもじしている。
「えっとぉ… 『おたのしみでしたね。』って、こういう時に使うのかなぁ…?」
ぐはぁ! こ… こいつ見てたのか…! こ、これはもう消すしか…
恥ずかしすぎて俺が固まっていると、小娘も顔を真っ赤にしてわたわたしている。
「ふ、二人はほら、カップルさんだからふつうのことだよぉ。きっと。うんうん。あ、それじゃあお夕飯の支度しなきゃだから戻りまぁすミコちゃんがんばってね~」
早口でそれだけ言うと、脱兎の如く小娘も飛び出していった。
今更何を頑張れと… 頑張ろうとしたところでお前が乱入してきて頑張れなくなったんだろうが。いや、何を考えているんだ俺は。俺はもっと純粋な気持ちでミキを…
そんなことより、ミキに説明して誤解を解く必要がある。こういう時、あいつの行きそうな場所といえば…
俺は四十秒で支度を整えると、ミキを追って部屋を飛び出した。
空は今日も良く晴れ渡っている。
月の光が降り注ぎ、その細かい粒子がシャリシャリと音を立てているようにも思えた。
満月も俺たちを祝福してくれている。だから、俺たちはきっとうまくいく。
この先、何度も今日のような衝突や行き違いをするだろう。
だが、俺たちならその程度の障害は乗り越えていける。きっと大丈夫だ。
――待ってろよ、ミキ。必ず見つけ出して連れ戻すからな――
いつになく前向きな考えの俺は、その先の未来に思いを馳せ…いつしか笑みがこぼれていた。
DOSANの妻、という人。番外編
仕返しという名の、照れ隠し。 ─完─