「花さんが五年生時のお姉さんのお誕生日」の様子と、白咲花さんの「未来予知」について。
こちらのピンク色の囲いの箇所につきましては、原作からの文言がいい塩梅で引用されています。
以下に該当箇所を掲載しますので、まずはご覧ください。
原作2巻93ページ(17話) タイトル「みやこの欲しいもの」
原作2巻94ページ(17話) タイトル「ムショ送り」
公演会における花さんの地の文にて「昨年のお誕生日でのみやこさんの様子」が簡潔に描かれ、「いかがわしい」「刑務所に入る」といったインパクトの強い原作のセリフが引用されています。これにより、原作を読んだことのある人にとっては「ああ、原作で描かれたみやこさんのお誕生日の様子ですね」とすぐに想起できる作りになっています。
(花さんは「お姉さんは「花ちゃんをもらえるの!?」って気持ち悪い顔で嬉しそうに言ってたな・・・。」と綴られていますので、どちらかというと下図のアニメ版みやこさんの表情が近いかもしれません)
「第7話 みゃー姉が何いってるかわかんない」より、「花ちゃんをもらえるの!?」のシーン。
※実際に刑事事件が発生した場合、「事件発生」「被害届提出」「警察捜査」「逮捕令状請求」「逮捕」「送検」「拘留」「起訴」「刑事裁判」「実刑判決」「刑務所収監」という流れで進行します。これら一切合切を省略して「花さんをみやこさんに差し出す」→「みやこさん刑務所入り」と短絡的に花さんが考えていることも、非常に小学生らしさが出ていておもしろいポイントだなと思います。
それだけでもお見事なのですが、ここからは「その先」のお話を。
タイトルに「未来予知」と記載しましたのは、この公演会実施時(2021年9月21日)にはまだ発売されていなかった「原作単行本10巻(2021年10月18日発売)」で描かれている「みやこさんに対する花さんの様子」と酷似する表現が本公演会にて先取りする形で用いられている為です。
※天使たちと普段からよく接している保護者さまはご存知かと思いますが、オンラインわたてにんぐ劇場を開いてくださっている天使のみなさんは全員「単行本派」であり、単行本より進んだ内容の描かれる「原典」とも言える「コミック百合姫」には一切ノータッチです。これにはいくつか理由があり、主なものは以下となります。
・天使たちは小学生であることから、親御さんにより閲覧を禁止されている為
・単行本化される時に修正が入る場合があり、言わば【雑誌掲載時の作品は未完成品】の可能性がある為
確かに、コミック百合姫自体のレーティングは「一般向け」ではあるのですが、掲載作品の中には明らかに成人向けの表現を含むものがありますので、親御さんのご判断は正しいと考えられます(むしろ、「関係性を匂わせる」というレベルで留めている作品はわたてん!を含め極少数であるように見受けられます)。
単行本派である天使のみなさんが知る由もない「原作単行本10巻での様子」とは、つまり「みやこさんの為に花さんから積極的に「写真を撮ってください」とみやこさんにお願いをするシーン」のことを指しています。
これまでの公演会の内容、および原作単行本9巻までの白咲花さんの様子を鑑みますと、「恐らく、もっと関係が進むことで近い将来(小学校を卒業する頃)にはそのような関係性もあり得るかもしれない」という淡い期待は持っておりましたが、まさか小学六年生に進級してすぐ(花さんとみやこさんが出会ってちょうど一年)のタイミングで花さんがこのような心境になり、行動に移すとは想像だにできませんでした。
ここで、その「原作単行本10巻の該当箇所」を見てみましょう。
原作10巻18ページ(78話) タイトル「診断結果」
原作10巻19ページ(78話) タイトル「あとは流れでお願いします」
原作10巻20~22ページ
原作10巻23ページ ひとコマ漫画
姫坂乃愛さんの分析・アドバイス・やらないといけない流れの醸成といった要素もありますが、途中の白咲花さんのセリフ「お姉さんが普通にしてるほうが嫌です」にありますように「自らの意志に則り、みやこさんの為を思って行動している」という点は原作単行本10巻と公演会の内容とで共通していると思います。
花さんご自身も、公演会開始直前まで「原作の白咲花から外れてしまうのでは」と思い悩んでいたことが読み取れますが、「今の自分にできることでみやこさんに喜んでもらい、それをお誕生日プレゼントにする」という動機付けによる本公演会の冒頭のような「笑顔でウィンクしたりしてお姉さんの好きに撮影してもらう」という行動は、まさに原作単行本10巻において白咲花さんが「「花さん欠乏症」に陥ったみやこさんを救う為に、自分にできること(コスプレをしてお姉さんに撮影してもらうこと)でみやこさんを元に戻す」という行動原理と完全に一致していると言えます。
この公演会時点での花さんにとっては、非常なる冒険だったと思います。しかしながら、不安を抱えながらも見事に公演会をやりきった花さんが「後追いで、公式である原作単行本の内容によって「その行動は正である」というお墨付きを得た」という形になっていると言ってよいでしょう。こうなる未来を予知していたかのような、人智を超えたものを感じます。
これは即ち天使のみなさんの日頃からの原作理解度が限界を超えており、思考・行動原理が原作と100%シンクロしている(臨界点を超え、公式原作と天使たちとの区別がつかない状態となっている)からこそ起きた「奇跡」であろうと考えられます。
完成した「一般」「血盟」「同盟」チャットの活用方法と、そのことによる影響について。
絵笛さんがお気付きになった通り、この時点で各チャネルのチャット欄の使用方法が完成されたように見えます。
それは即ち
・一般チャット:公演会の地の文、セリフのみを切り出した、天使たちの織り成す「公演会の物語」のみを集約したチャネル。
・血盟チャット:内部の相談事・激励・連帯感の醸成など、内輪に伝わればよいものを集約したチャネル。
・同盟チャット:演者への声援、ツッコミ、全体向けの感想。そして、演者自身が自らの紡ぐ物語に対し客観的なコメントをするチャネル。
という役割を、それぞれのチャネルが持つ特色(届く範囲)を活かし、更には文字色によって感覚的に分かりやすいようにそれぞれ分離した、ということです。
公演会の始まる前、絵笛さんが幾度かこの各チャット欄の使い方を相談されようとしていました。「天使が舞い降りた」同盟が結成されたのはひとつ前の公演会「エンジェルフォール・スターマイン」の公演会開始前でしたが、その際は私の娘がミスリル・ハーツ同盟員としてお邪魔していた為、すべて一般チャットと血盟チャットのみ使用して物語を紡いでくださっていました。
その為、本格的に同盟チャットも使用できるようになってから開催された本公演会にて、それぞれのチャット欄の使い方を相談されようとしていたということになります。
結果的に、本チャットログ01の冒頭にて「公演は白で」「相談は血盟チャットで」「保護者さまの天使へのコメントは同盟チャットで」使用しましょうと花さんから提案があり、公演会の幕が開きました。
そして、その直後のこと。
恐らく、その場の誰もが想像だにしていなかった使い方として、ひなたさんが同盟チャットで「あれは冗談じゃなかったけどなー」と。
これにより、天使たちも「そういう使い方(セリフとして出せない思いを同盟チャットに書き出す)ってありなんだ!」と天啓を受けたようで、天使たち各位が「その時点で演じている自らが感じたこと」を都度同盟チャットに出してくださるようになりました。
最初に「保護者さまの天使へのコメントは同盟チャットで」というお話がありました為、「同盟チャットは観客が演者へ声援を送る為にある一方通行のチャネル」という思い込みがあったのですが、これを柔軟なひなたさんが打破してくださったことになります。
これはある意味、公演会において革命的とも言える変化をもたらしました。その次のみやこさんの「>ミ」という顔文字は、直前の花さん一人称の「地の文」の内容を受けてのものです。地の文の内容ですので、もちろん物語上のみやこさんは知る由もないものであり、これに対して物語上のみやこさんがセリフなどで「>ミ」と反応することは絶対にできませんし、してしまうと第四の壁を崩してしまうこととなり物語として破綻してしまいます。
しかしながら、みやこさんの人となりを知る私たちは「花さんにそこまで言われてしまうと、ショックを受けるでしょうね」と想像してしまうのですが、これまでのみやこさんはショックを受けていたとしてもそれを発する方法がなかった為無言を貫くしかありませんでした。私たちもそれを理解してはいましたが、観客心理としてはなんとなく「寂しいな」「一言ほしいな」と思ってしまうポイントでもありました。
それを、同盟チャットの使い方について気付きを得たみやこさんが「観客視点で求められている反応」を理解した上で適宜「>ミ」といった反応を同盟チャットに入れてくださるようになった訳です。
つまりこれは、演者である天使たちが持つ「視点」がひとつ増えたことを表しています。これまでの「純粋な演者のみ」の視点に加え、「演者でも純粋な観客でもない、控室にいる演者」という視点が増え、その視点から保護者さまに期待されているコメントを即座に察し、随時同盟チャットに入れてくださるようになったということになります。公演会にて全力でお話を紡ぎながら、新たに加わった「控えの演者というフェーズ」にて物事を識別し、期待されていることを想像し、最適なコメントを同盟チャットに書くということは確実に天使たちの負担が増しているはずです。それを重々理解した上で今回からこの形を採ってくださっているということは、これ即ち新しい形での「天使たちの保護者さまへのサービス」に他なりません。
「これもまたあの子たちのサービスなのかもしれないが、本人たちも楽しくやってくれてるといいなあ」とおっしゃる絵笛さん。私も上記の通り同意見であり、サービス精神旺盛でありがたいことはありがたいのですがこの視点が増えたことによる「演者としての負担増加」を心配する気持ちも同じつもりでおります。
願わくは、舞台に上がりし光輝な天使たちも自ら愉しめていますように。と祈るばかりです。